変化を受け入れる
前回の記事の続きになります。
アクションを起こすことの重要性については前回述べたので、それと関連した「変化を受け入れること」、そして「すべての物事には意味がある」という考え方についてお話しします。
今、世界は目まぐるしく変化しています。
10年前の当たり前がもはや常識ではなくなるのです。
インターネットの出現により、私たちの住む世界は大きく広がり、日常生活は次々とデジタル化、便利になってきています。
そんな今だからこそ、私たちの物の見方や態度を改めて考えていきたいと思います。
結論から言えば、柔軟なスタンスでいるべきだと考えています。
「人は変化が怖い」
そんなことないと思う人も、馴染みの仲間と時間を共にするのは楽だと感じるはずです。
やり慣れたルーティンワーク、普段の生活リズム、ここから脱し新たなことを始める時、人はストレスを感じます。
これは人間の性質なので仕方ないことでしょう。
さて、それに身を任せていたらどうなるでしょうか。
おそらく、居心地の良い環境に長く身を置いてしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなるのではないでしょうか。
つまり、どんどん保守的になり、自らリスクを冒すことを避けていきます。
実際に同じことしかやらなくなると、脳への刺激が減り、考える力が衰退するようです。
まさに負の連鎖なのです。
変化を恐れる必要は決してありません。
まずファーストステップとして、「新しいことに対する不安な気持ち」を当たり前だと受け入れること。
あとは、新しい場所に行って、いつもと違うことをして、普段話さない人に話しかけてみましょう。
そうすると新しいことへのハードルが少しづつ下がっていくはずです。
変化に対する柔軟な姿勢を持つことができれば、もはや何をするにも怖いものはありません。
物事は絶えず変化していくものです。
例えば、未来は全くわかりません。それは良くも悪くも変化を繰り返すから。
でも、わからなくていいのではないでしょうか。
いくらデータを用いて予測したところで100パーセントはありえないのだから。それならば、この変化を楽しもうというスタンスの方がストレスもなく、よっぽど今を集中できるのです。
言ってしまえば、今まさに僕が書いていることも、ひょっとしたら一年後には真逆の意見になっているかもしれません。
そもそもこのブログを始めたきっかけは海外の情報を発信していきたいから。しかし、今では自分のアイデアを整理しアウトプットすることにフォーカスし、その結果として有意義なことを伝えようと思っています。
ただこの変化も悪いことではないと思うのです。
意見が変わるのは自分の考えがアップデートされた証拠です。
むしろ、以前こう発言したからと「今自分が思う正しいこと」をねじ伏せてしまう方が勿体無いのではないでしょうか。
もう一つここで柔軟なスタンスでいることを促す考え方があります。
それは、「すべての物事には意味がある」と信じること。
どんなにネガティヴな状況に陥っても、この経験は今後自分にとって必ずプラスになると思うことで、乗り越えることができます。
自分が期待していた結果が得られなかった時、
例えば、本来望んでいなかった課題が与えられたとして、そこで初めて学んだこと、あるいは知り合った人がその後、自分にとって重要な存在になるのはよくある話です。
これから二つのエピソードをお話ししようと思うのですが、一つ目は怪我の話です。
僕は高校生の時、サッカーの試合中に左膝前十字靭帯断裂という大怪我をしました。手術までに時間が掛かってしまったこともあり、約1年間の長期離脱を余儀なくされました。
大好きなサッカーができず、復帰の目処が立たないまま、ひたすらリハビリをする日々は高校生の自分にとってかなり厳しかったです。
結果的に高校最後の試合までには復帰できたものの、トップフォームとは程遠いものでした。
しかしながら、今では「この怪我がなければ今の自分はいないだろう」と思っています。
別メニューとして取り組んでいた筋トレ。この出会いは非常に重要で未だに趣味として続けています。
そして、あの時期にコツコツとリハビリと筋トレを継続してやり切ったこと。これは大きな自信になりました。
また、目標に向かって、自分で最善策を考え、計画し、取り組んでいく。それを修正してまた、次のトレーニングで試すというPDCAを実践できていたのです。と言うよりも、怪我によってやらざるを得ない状況に立たされていました。
この経験があったからこそ、自分のアイデンティティである強い向上心が生まれたのだと思っています。
もう一つは記事を書いている時に思い浮かんだのですが、一人の日本人男性との出会いです。
その方とは自宅に帰る途中、バス停で知り合いました。
大雨が降り出したので、自転車で帰ることを諦めたことがまず一つの偶然。
当時僕が住んでいた家は街からも遠く、共同生活だったため、実は色々と大変なこともありました。
今までは少しでもポジティヴに捉えようと「良い経験をさせてもらった」としか考えていなかったのですが、今思えば、そこに住んでいたからこその出会いでした。
ちなみにこの夏日本で、たくさんの人にお会いし、貴重な話を聞けたのですが、積極的に人に会おうと思ったきっかけを与えてくれた方です。
このように、偶然や自分にとってマイナスの出来事も全ては今に繋がっているのです。
後付けや気持ちの問題にも思えるかもしれませんが、少なくとも僕はそう信じていますし、そう思っている方が得だと考えています。
事実、僕はこの「すべての物事には意味がある」と考えるようになってからチャレンジすることへの不安が減り、物事を楽観的に見ることができるようになったのです。
この記事で紹介した考え方が、読者の気づきに少しでも貢献できれば光栄です。